器の底
人の本性って、何か問題が起きたりして追い詰められた時にこそ発露するもんで。
問題に対して真っ正面から向き合う人、問題から逃げてしまう人、理不尽な怒りをぶつける人、立ち尽くす人、なかった事にしてしまう人等など。
そう言った、ある種の極限状態では普段被っている仮面は容易に剥がれてしまうもんです( ´ω`)
そして、そんな時に冷静にその人を見れれば、その人の本性がかいま見えてしまう訳で。
まぁ大抵落胆してしまう結果になるんだけどさ(;´Д`)
落胆するって事は、裏を返せばある種の期待をその人に持っていたけれども、それが現実にはそぐわなかったって事に他ならない訳で。
そう考えると、勝手に期待しといて何言ってんだ?とも思いますがwww
そこは人間の浅はかさ&勝手さの真骨頂な訳です( ´ω`)
また、起きている問題の大きさによってその人の器もかいま見えてしまう事もあり。
これまた勝手に落胆してしまう事もしばしばあるwww
こうして簡単な例を挙げただけでも顕著なように、人間ってのはホントに勝手な生き物で、自己の想像、もしくは理想を他人に投影せずには生きていられない生き物なんですな。
そうでもしてないと不安で仕方ないからね。
自分には他人の事なぞ何も分からんし、分かりようもないのだから。
また、先程「期待」と言う言葉を使ったけれど、言い換えればそれは価値観の押し付けに他ならない。
「〜〜であって欲しい」ってのは、その裏に「〜〜でなければ嫌だ」って意図が当然ある訳で、さらにそれは「〜〜が是である」から派生したものだろうからね。
俺が他人の期待や失望にそこまで気を払わないのは、それらの気持ちの裏に隠れるこれらの事に対して、ある種の嫌悪感と蔑視するような気持ちを持っているからなんだろなぁと、今気付いた訳だがwww
そう言えば、俺は昔から自分の価値観を他人に押し付けてる人って苦手だった。
勘違いしないで欲しいのは、「価値観を他人に押し付ける事」と「自らの価値観を他人に提示する事」は、全くもって別種の行動であるって事。
価値観を他人に提示する事はむしろ良い事だと思う。
何故なら、それこそが彼を彼らしくあらしめてくれる、唯一無二の表現方法に他ならないから。
けれど、その事の正当性を彼以外の人間にも求めた時、その行動は一気にその性質を変質させる。
その時彼は、自らの価値観の正当性を掲げると同時に、彼の持つ価値観以外の価値観を否定してる。
他人の言ってる事は否定しといて自分の意見だけは通せなんて、ちょいと虫が良すぎやせんかい??
そんな訳で俺は価値観を押し付けて来る人は苦手なんです。
だいぶ話がずれた…(;´ー`)
ま、こんな所でグチグチと文句垂れてる俺こそが、器が知れるわって話でした(゜∀゜)
…別に続きを書くのが面倒臭くなった訳じゃないからな!!m9;゜Д゜)
写真は太陽の里でお客さんの子供たちにもらった風船。
すっげぇ心温まるプレゼントでした(*´ー`)
